《新聞掲載記事のご紹介》

「藤原京の宮城はなぜ中央に?京都に残る中国理想の王城図にヒントが」10月2日 朝日新聞朝刊・地域総合面 (デジタル版は9月28日公開)

*記事の一部を訂正し、参考文献を追加しました(10月9日)

水無瀬の淀川対岸にある男山には、伊勢神宮と並んで朝廷の宗廟とされる石清水八幡宮が鎮坐しています。同神社に伝わる重要文化財の「石清水八幡宮文書」として一括される文書群に、保元の乱後の政治改革を推し進めることになる希代の碩学であった信西(藤原通憲)の、平安京内の里内裏である土御門内裏(土御門烏丸殿)の再建に関する勘文(意見書)の鎌倉時代の写本があります。

本年10月2日に刊行された朝日新聞の「藤原京の宮城はなぜ中央に?京都に残る中国理想の王城図にヒントが」(朝刊・地域総合面、デジタル版は9月28日公開)の記事で、同文書に引用されている図に関する、当会顧問の豊田裕章氏の研究が紹介されています。 https://digital.asahi.com/articles/AST9S0CG6T9SPOMB009M.html

豊田氏は、この文書の中に引用された図の中に、中国にも現在伝存していないような後漢時代末期の阮諶の撰になる『周室王朝明堂宗廟図』という貴重な文献の逸図と考えられるものがあり、その図に見られるような王城に十二門が設けられるとする儒教の古典の解釈が、藤原宮以来の日本の宮城(いわゆる大内裏)の構造に大きな影響を及ぼしているという研究を行っています。豊田氏によると、このことは、「都城(京城)」の概念が隋代を過渡期として唐代初期に大きく変化したと考えられることと関わるそうです。

この記事は、石清水八幡宮のご理解、ご協力を得て、豊田氏の東アジアの都城制に関する研究をふまえて、朝日新聞社の塚本和人氏によって執筆されたものです。石清水八幡宮研究所の鍛代敏雄氏のコメントが掲載されています。同記事のデジタル版には、この図の精細なカラー写真があります。

#石清水八幡宮 #信西 #王城図 #東アジアの都城制 #藤原京 #豊田裕

【主要参考文献】
豊田裕章著・成高雅訳「關于東漢阮諶《周室王城明堂宗廟圖》傳存日本的逸図」(陳明主編)『北京大学 東方大文学研究叢書 從中古到近代寫本與跨文化研究』、中西書局、2025年)

★この記事に関連する豊田氏の主要論文には次のようなものがあります。

・豊田裕章「石清水八幡宮所蔵「異朝明堂指圖記」と阮諶「周室王城宗廟明堂圖」(皇學館大学史料編纂所報『史料』第208号、2007年)

・豊田裕章「藤原京の宮域と周制の王城(國)との関わりについて」(『古代文化』第59-2、2007年)

・豊田裕章「中国における都城の概念の変化と日本の宮都」(王維坤、宇野隆夫編『古代東アジア交流の総合的研究』、 国際日本文化研究センター、 2008年)