《報告》茶の湯文化学会で発表しました

茶の湯文化学会 近畿例会
日時:令和8(2026)年2月28日
会場:同志社大学今出川キャンパスの至誠館

【概要】
当会顧問の豊田裕章氏が「承久の兵乱以後の水無瀬殿、門跡寺院の桜井寺と尾山遺跡の庭園遺構について」を発表しました。
白茶、後鳥羽上皇の仰せで『喫茶養生記』に書かれた可能性、茶筅の起源としての楽器に関するお話もありました。

【詳細】
水無瀬殿(水無瀬離宮)は、今からおよそ800年前に、現在の大阪府島本町にかつて存在した。後鳥羽上皇がこよなく愛好した離宮である。水無瀬離宮は、「本御所」や「新御所」(上御所)、「南御所」(薗殿)などの複数の邸宅としての御所、「馬場殿」や独立した長舎状建物と推定する長廊などの関連施設が設けられた中核区域とともに、その外部の山側にも、大きな石を組んで水を堰入れた滝や回遊できる池を擁する「山上御所」が設けられていたと考えられる。その西南の桜井地域付近には、後鳥羽上皇の時代に、山上御所、上皇の御願寺で等身の阿弥陀如来像を本尊として千体の地蔵菩薩像が安置された「蓮華寿院」、後鳥羽上皇の近臣で内大臣の源通親が有する湧水があって「内府泉」とも呼ばれた別邸、後鳥羽上皇皇子の雅成親王の御所(六条殿宮御所)があったと考える。

再現された尾山遺跡の池泉遺構に設置された案内板

この水無瀬殿(水無瀬離宮)は、上皇の在世中は維持されていたようである。後鳥羽上皇が崩御の後、上皇の陵堂として大原に造営された法華堂は、水無瀬殿の新御所(上御所)の寝殿を移築したものであろう。水無瀬の地には、後鳥羽上皇を祀る水無瀬御影堂が造営された。小山(現在の百山)には廟堂、山側の山上御所の跡地に御影堂の別院として安養寺が営まれたと推定する。

また、桜井地域には平安時代から室町時代にかけて、園城寺の法親王などが有する門跡寺院でもあった桜井寺(桜井宮、後に円満院宮)が存在した。この桜井宮は阿氐河庄などの多数の庄園を領有するようなものであった。尾山遺跡の庭園遺構や越谷遺跡の当該時期の遺構は、桜井寺との関連性が考えられる。また、この桜井地域に伝存する鎌倉時代中期から南北朝時代の優品の石造物も桜井寺と関わるものであると推定する。

〔主要参考文献〕
・豊田裕章「ビンササラ(ビンザサラ)の語源について―郢曲「鬢多々良」の問題を含めて―」(『日本伝統音楽研究』17、2020年)
・豊田裕章「水無瀬殿(水無瀬離宮)と桜井地域における庭園遺構-離宮前後の桜井宮の問題を含めて-」(『日本庭園学会誌』No.35号、2021年3月)
・豊田裕章「宋代点茶における茶芽の毛(毛茸)による白色の泡の茶と日本的展開―茶筅の起源の問題を含めて―」,
  大形徹・武田時昌・平岡隆二・高井たかね『京都大学人文科学研究所共同研究報告 東アジア伝統医療文化の多角的考察』(臨川書店、 2024年)
・豊田裕章「後鳥羽上皇の水無瀬殿(水無瀬離宮)の構造と承久の兵乱後の動き」(荒木浩編『〈無常〉の変相と未来観』思文閣出版、2025年)

■この近畿例会では、京都芸術大学の仲隆裕氏の「水無瀬神宮茶室燈心亭の露地と庭園」の御発表もありました。